通学路の思い出
どうも、kokeshi母さんです。さっき息子とお風呂に入った時「お母さんの脚ブツブツやん」と言われ、ちょっと立ち直れません…。なに?ブツブツってなに?すんごい気になってしょうがないです。
さて、ネタが尽きてきたので再びお題スロット回しました。今回は小学生時代の通学路の思い出について書いてみたいと思います。1人が大好きだったkokeshi母さんは、行きこそ集団登校でしたが、帰りはほぼ毎日1人で通学路を帰っていました。花を摘みながら帰ったり、近所の飼い犬巡りをしながら帰ったり、昔からマイペースに帰っていました。
特に犬巡りが大好きで、柴犬のタロちゃんとボルゾイのララちゃんは必ず会いに行ってました。
タロちゃんは夏場は庭木の土に穴を掘り体を冷やしていました。土の中に体を沈めている背中と首の後ろを掻いてあげると、「クゥ〜ン」と言いつつ体全体で喜びを表現してくれました。その様子が大変可愛かったです。
ララちゃんは体が細いせいか、柵から逃げ出し脱走をよくしていました。道の真ん中でバッタリ出会い、「おいで〜、おうち帰ろう〜」と言ったら素直についてきました。気づいたらララちゃんの回収係になっていました。
あれから何年か経ち、久々にタロちゃんの小屋を覗いたら、入り口がベニヤ板で塞がれていました。タロちゃんは居なくなってました。ララちゃんも天国に行った話を飼い主さんから聞きました。
もう会えないとなると寂しいですね。
学生時代にしていた部活「高校時代編」
どうもkokeshi母さんです。朝、通勤電車で何でもないタイトルのサイトを開くと、裸んぼうの女性の広告がバーーン!!と画面いっぱいに出て非常に焦りました。何のワナでしょうか。朝から変な汗をかきました。
さて、学生時代にしていた部活動の話の続きです。高校時代の部活は、ダンス部に入りました。これも友達に誘われ入りました。中学時代とは打って変わりかなりゆる〜〜い部活でした。ダンス部だったけど野球部の応援とかもあり、チア部のまがいものみたいなのも兼業してました。
振り返れば、一番夢中になって頑張っていたように思います。体育祭のマスゲームを考えたり、文化祭の踊りを考えたり、新歓で部員を獲得するために勉強そっちのけで練習したら、反響があって、倍以上の入部希望者がきたりと、かなりやり甲斐がありました。ちなみにその時の数学テストは27点でした。
20年経った今でもダンス部だった頃の夢をたまにみます。思い出して、すごく踊りたくなり娘とビヨンセのマネをして踊ったりします。ビヨンセのマネというか、ビヨンセのマネをする渡辺直美のマネが近いですね。
また趣味でダンスが習えたら良いなと思います。次ぎやるならフラダンスかベリーダンスを習ってみたいですね。
学生時代にしていた部活「中学編」
どうもkokeshi母さんです。今日は学生時代にしていた部活動について書きたいと思います。
まず中学時代はバトミントン部に友達に誘われ入りましたが、体力が無さ過ぎて即やめました。上下関係もバスケ部に次いで非常に厳しく、独特の甲高い声で挨拶をしなければならないという変なルールが存在していました。しかも街中で先輩に会っても、先輩の姿が見えなくなるまで「こんにちは!!」コールを止めてはいけないという暗黙の了解があり、ジャスコで先輩に会った時は周りから何事かと不思議な視線を受け辛かったです。
そんなバトミントン部は即辞めて、ほぼ三年間吹奏楽部に所属していました。これもまた友達に誘われ入りました。上下関係はやはり厳しかったですが、1番怖い先輩に何故か可愛がられ何とか良好な関係を保つことが出来ました。私はもともとむっつり顏で、普通にしていても「怒ってる?」とか「怖そう」「生意気そう」と誤解される事が多く、先輩から目をつけられる事が多々ありました。でも1番怖い先輩もむっつり顏だったので、何か私と通じる物を感じたのか、仲良くしてもらえました。
最後はむっつり顏の話になってしまいましたが、そんな人間関係の中でも一応楽しく部活動を続ける事ができました。
あ、ちなみに私が演奏していた楽器はクラリネットです。もう20年以上は吹いてないので、今はもう鳴らす自信がありません。
次回は高校時代の部活動について書きたいと思います。ガラリと変わり、運動系と文化系の間みたいな部活にはいりました。